劇場版魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語の迂遠な感想


 じゃあまあ、まどマギ映画の話でもしましょうか。
 公開二日目に観に行ったのだけど、一度では満足できず(隣席にやたらバッグの中をごそごそさせてる奴がいて気が散ったせいもあり)、数日後にもう一回観ました。これは僕としてはわりと珍しいことなんですけど、要は予想以上に趣味に合った映画になってたいへん楽しめたんですね。で、せっかくなので二回目観賞時に感じたことを備忘のためにも順を追って細々書いてみようかな、と。もちろんネタバレです。いやーなんだかんだ言ってもセカイ系ってはまるとたまらんですね! ちなみに色紙は二枚ともほむほむでした。



起〜マギカ戦隊の新たな仲間、ほむらブラック参上!〜


 御伽噺の風景のような夜の街に、新たな敵ナイトメアが現れる。ナイトメアはぬいぐるみの実写だが、背景と上手くマッチしていて違和感はない。ナイトメアの上には人間の手が浮かんでおり、操り人形のイメージなのだろうが、この街が作られた箱庭であるという真実を考えると納得である。影絵バレエダンサーの列にひょこっと顔を出すまどか。かわいい。リファインされて登場のお菓子の魔女=ベベは、不気味さと愛らしさのバランスが上手くとれててより魅力的になった。そしてマミさんは胸がでかい。

 オープニング。遊園地で皆が遊ぶ楽しげなイメージと思いきや、ほむほむはその中に入れない。サビの部分でもほむらは踊るまどかたちから切り離されており、つまりこれが本作のメインプロットということになんだろう。というのは置いておいて杏子がかわいい。

 転校生眼鏡ほむら。まどかに向かって必殺の魔法少女アピール。こいつ、自分がかわいいことを知ってやがる……。

 変身シーン。杏子の千手観音とさやかのブレイクダンスに口の端が歪む。重ねた手のひらの隙間からこちらを覗くまどかがかわいい。そしてマミさんは胸がでかい。マミさんの指導のもと四人が練習している姿を想像すると、胸の奥が暖かく和やかな気持ちになりますね。

 ケーキ、ケーキ、ケーキはだあれ? 何が始まったのかと。いずれマミさんの指図なのだろうがやる気がハンパなさすぎる。各員歌に合わせた動きがかわいい。特にさやかと杏子の細かい手の動き。杏子かわいい。さっきから「かわいい」ばっかり言ってるな。かわいいものはかわいいのだからしょうがない。
さやかがラズベリー、杏子がリンゴ、マミさんがチーズ。これはだいたいわかるがほむらは何故にカボチャ? カボチャと魔法といえばシンデレラだけど、何かそういう含みがあるのだろうか。

 反省会するならマミさん家でケーキ食べながらにしよーぜー、と食い気を見せる杏子にさやかが「ちょっとぉ、いいこと言ってんじゃないわよぉ」これだよ! この軽くイラッとさせられる感じがさやかだよ! さやかが帰ってきた! マミさんが承諾すると、杏子は嬉しさのあまりモンキーダンスを踊りだす。猿なのかな。魔法少女の戦いってこんなんで良かったっけ、とほむらが疑問を感じるのも無理はない。

 ここでやっと幸せすぎて嘘くさい世界に疑問が投じられて導入部が終わるわけだけど、時間配分的にはこれがギリギリの長さだろうなー。皆がそろって仲良くしてる姿を、できるだけ描いてあげたかったんだろう。

承〜ほむら、内宇宙の旅〜


 ほむらは船上カフェテラスで杏子に違和感を打ち明ける。さやかやマミさんのような脆さのない杏子は、安定して話を進行させたいときに便利なキャラ。屋根に引っかかっている風船は箱庭に囚われていることのメタファーかな。一緒に隣町を調べに行こうと誘われた杏子は、フライドポテトを一本投げ与えて了承する。TV版から引き続き、食べ物を分け与えることで相手への賛意を示す杏子。ポテトは飲み物だぜと言わんばかりに口に流し込んでたのに、一本だけ残してたのかと思うとなんだか律儀で微笑ましい。

 二人は見滝原が閉ざされた世界になっていることを知る。箱庭の世界ということで、これでもかとシンボリックな背景が続いているけど、ここはがらんとしていて不気味さがよく出ていたのではないかと思う。まずは自分が調べるのでしばらく動かないでくれと言うほむらに、今度はペロペロキャンディを投げ与えて了承のサインを示す杏子。食べかけだったらべたべたして困るよなー、などといらん心配をしてしまう。記憶が戻ってきたほむらはここでメガほむからクールほむに変身。眼鏡を外すのは決意の表明。

 もうちょっと自分で調べてみると言ったほむほむだが、次のシーンではクールほむ状態のままマミさんに露骨な探りを入れるわベベを浚っていくわと、隠すつもりの微塵もない直接行動でちょっとずっこける。考えてみれば、もともと武器を用意しようとして腹腹時計にいっちゃう極端な子なんだよな。

 ベベについての話から自分の弱さを語るマミさんに、ほむらは「あなたはもっと強くて逞しい人です」と励ましの言葉をかける。「みんな死ぬしかないじゃない!」を目の当たりにしといて、どういうつもりでこんなことを言うのか。自分の弱さを認めるマミさんは、成長しているようにも見えるが、まどかとさやかに代わってベベに依存するようになっただけのような気も。
 ほむらがお茶のおかわりを要求し、マミさんはほむらの背後を通って台所に向かう。このとき黄色いリボンが一瞬見える。マミさんはほむらが何らかの行動に出るものと疑って先手を打ったわけだが、マミさんが鋭いというよりもほむらの様子が怪しすぎたといったほうが正しいか。

 ベベを浚ったほむらとそれを阻止しようとするマミさんとのバトル。リボンの仕込みで時間停止がキャンセルされ、互いにガンカタを駆使した長期戦に。ティロ・フィナーレという大口径砲撃の必殺技を持っていながら接近戦もこなし、おまけにリボンを使ったからめ手まで用意してるマミさんって、実は最強クラスじゃね? もはやなんでお菓子の魔女に負けたのか不思議なくらい。勝利に慢心して索敵を怠ってしまったのか。それともケーキの食べすぎで体が鈍っていたのか。三段腹は……要りませんよね……。
 戦いが硬直したところで突如拳銃を自らのコメカミに突きつけるほむら。マミさんが止めに入るがそのまま発砲。銃弾は頭を掠めて二人をつなぐリボンを断ち切り、ほむらとの接触が絶たれたマミさんの時間は停止する。自ら死を選んだと見せかけて実は……というのはこの後への布石となる。しかしそれすらもマミさんはお見通しで、ほむらは逆にリボンで拘束されてしまう。ほむらがマミさんに拘束されるのはTV3話、10話に続いて三度目。相性悪いね。先の「あなたはもっと強くて逞しい」という発言は意外と本心だったのかもしれない。マミさんの指摘通り、時間停止という後の先を取れる能力の持ち主であるほむらは、それ故に相手の出方を待ってしまうし、先手を取られてしまうと脆い。

 ここで消火器マスターさやかが乱入する。さやかによる真相の示唆。いまだほむらの記憶が不完全なのに対し、さやかは円環の理の一部としての意識を保持している。TV版での立場が入れ替わったともいえ、さやかがどこかドヤ顔になるのもむべなるかな。
 この世界が魔女の作り出した結界だとしても、皆が幸せならそれもまたいいのではないかというようなことを語るさやか。その魔女とは他ならぬ自分自身だと気づいていないほむらは激昂するが、さやかは魔女を肯定しているようで実はほむらを気遣っている。
 ほむらの時間停止を阻止するさやか「そうやってまた自分だけの時間に逃げ込むつもり?」この台詞は実はけっこう重い。この後明らかになるほむらの心情を念頭に置くと、ほむらのループはまどかを助けるためではなく、まどかの死という現実から逃げるためだったのではないかという含みがあるからだ。
 マミさんのソウルジェムは撃たなかったが、ソウルジェムがついてるさやかの腹は迷わず蹴り飛ばすほむらに思わず苦笑。マミさんとは違う意味で相性が悪い。

 突如ゴンドラに乗っているほむほむ。趣味なんですかね。まどかが橋からゴンドラに飛び降り、勢い余ってほむらを押し倒す。ほむほむはよく理性を保ったと思う。頑張った! イチャイチャする二人の隣で花火を手にくるりと回るマドロス?がかわいい。

 まどかを失う苦しみを吐露するほむらに、まどかは、そんなことにはならない、何故なら自分も孤独には耐えられないからだと語って落ち着かせようとする。ところが、そのまどかの言葉がほむらをダークサイドに押しやる引き鉄を引くこととなる。
 正面から抱き合いながらほむらの髪を編むまどかが百合百合しい。百合の成分の17%くらいは相手の髪をいじることでできてると思うんだよね。しかし、ほむらの悔恨とともに髪は解けてしまう。もうメガほむだった頃には戻れない。あたり一面に咲いていた花が一斉に落ち、夜間照明のような新たな花が咲く。

 キュゥベエに真相を知らされるほむら。ゴスロリ服が良く似合ってる。横たわる現実世界のほむらはまどかが昇天したときから変わってないように見えるが、魔法少女って成長とか老化とかその辺はどうなってんでしょうね? あるいはまどかに会えなくなった途端に物凄い勢いでソウルジェムが濁るようになったんだろうか。キュゥベエの企みを察したほむらは、血涙を流して魔女へと変化し始める。

転〜魔女ほむらの乱〜


 まどかを守るために魔女になって果てるという決断そのものが、まどかともう会えないという絶望となって魔女化の後押しをする。使い魔?の人形が箱についてるハンドルを手回しする演出もあってなんだか自己発電的である。
 そして魔女ほむが誕生。庇がレコードになった帽子は、傷がついて同じところを繰り返すレコード→ループを繰り返したほむら、という連想だろうか。
 ほむらを助けるべく魔法少女たちが乱入する。杏子が頭をじょっきんされたほむらの顎に手を添えるカットがインサートされる。悲しげではあるが、家族を失いマミを失いさやかを失い、それでも魔女にならなかった杏子は、実はまどかを思うあまり魔女になったほむらが少し羨ましいのかもしれない。常にお菓子やジャンクフードを食べている不健康ぶりは緩慢な自殺のようにも思われる。もし杏子が男だったらヘビースモーカーとして造形されていただろう。ともあれ、杏子とほむらのカップリングの可能性を飛躍的に高める素晴らしいカットである。

 ギロチンに向かって曳かれていく魔女ほむら。しかし背中のリボンの先端が手に変じて地面を引っかいている。本当は死にたくない、まどかに会わずに死ぬつもりはないという本心の表れか。

 戦闘の最中、背中合わせになる杏子とさやか。表情を見せないまま「あんたが死ぬ夢を見たんだ。でもそっちが現実でこうしてるのが夢なんだよな」と暗い声で呟く杏子に、さやかは未練はないつもりだったけどあんたを残していったのが心残りだったと答える。このときの「なんだよ、かわいいこと言っちゃって」とでも言いたげな、片眉を傾げたさやかの表情がとても良い。その後の背面手つなぎで観てるこっちの頬が緩む緩む。オクタヴィアが杏子のファイナルウェポンを装備しているのは、TV9話での杏子の命を賭した呼びかけがちゃんと伝わっていたということであり、君たちほんと良かったねと思わずにいられない。とにかくまどかを可愛く描くことを心がけたという本作だけれども、杏子もかわいくかわいく、そしてさやかはかっこよく描かれてるなあ。

 まどかとほむらが二人で魔女の結界とキュゥベエの干渉遮断シールドを破壊する。このときほむらは、まどかの「一人ぼっちになっちゃダメだよ」と言う言葉に、「まどかと一緒ならどんな姿に変わっても〜」と答え、「怖くない?」という問いには「大丈夫、あなたと一緒なら平気よ」というような言葉で答える。感動的なやりとりのようでいて、実は噛み合っていない。二回目を観たときにはそこが悲しかった。ほむらの台詞に合わせて一瞬入る黒コマがかすかな不安を呼び起こす。

 まどかの矢に射られたキュゥベエの群れが「わけがわからないよ!」の合唱。悪の黒幕インキュベーターがギャグキャラになった瞬間である。

 ほむ魔女が自壊する前に結界と遮断シールドが破壊され、横たわる現実のほむらの元に円環の理たるまどかがやって来る。が、死を目前にしたはずのほむらがニヤリと笑い「このときを待っていた! 火炎瓶だ!」ある意味本作最大の見せ場。時をかけるストーカーほむらさんの本領発揮である。思わずさんづけで呼んでしまうのもやむを得ない。そうだよな! そうでなくちゃならないよな! と心の中でガッツポーズですよ。
 引き続きわけがわからないよ状態のキュゥベエに、ほむらさんは、まどかを助けるためループを繰り返すうちに痛みすらも心地良くなったこと、そしてもはや自分のソウルジェムを曇らせるのは呪いではなく、人間の感情の極みである愛なのだということを語る。ほむらさんが円環の理に叛逆するのは、まどかに永遠の孤独という重荷を背負わせないためであるが、しかしこの台詞を聞くにやはり己の愛欲も大きい。月並みではあるが、愛というものは自己を縛りつけドロドロとした感情の沼を生み出す、やはり呪いなのだろう。
 こうしてほむらさんは魔女を超越した悪魔となり、円環の理から引き剥がした人間としてのまどかが幸せに暮らせるように宇宙を改編してしまう。「神にも等しい存在を汚した」とほむらさんは言うが、人間性が分離されたことで円環の理はより純粋で公平なシステムとなり神性が増したとも考えられる。神が存在するには信者のみならず悪魔も必要なのかもしれない。

結〜ハッピーバースデイ、デビルほむ〜


 改編された世界。見滝原中学の登校風景。往来の真ん中にテーブルを置いてくつろぐほむらさん。登校の邪魔になるとかのんびりしてたら遅刻するとか、そういうことを考えないあたりが悪魔の証明である。椅子は二脚、テーブルの上のドリンクにもストローが二本あり、ほむらさんは誰かと楽しく歓談している様子。しかし、まどかと並んでルミナスしてたのは最早過去の話であり、ほむらさんの隣には誰もいない。

 通り過ぎたマミさんの背後で、ほむらはティーカップを地面に落とす。また、木に登った杏子(猿なのかな)が枝の下の子供たちにリンゴを投げ与えようとすると首を振り、するとリンゴは誰の手にも渡ることなく川に落ちて流される。二人を支配下においた(記憶を改竄した)ことの暗示だろう。ティーカップもリンゴも上から下へ落下したのであり、まどかが空に向かって垂直に矢を放っていたのと対照的。靴を脱いで屋上から次々と飛び降りる子供たちも同様。

 激おこさやか丸と徹夜明けみたいな目つきがステキなほむらさんとの会話。かつてまどかが円環の理に招待するしかなかったというさやかが存在しているのは、もちろんほむらさんの改竄力によるものなんだけれども、恭介から杏子に完全に乗り換えちゃったせいもあるのではないかと思わずにいられない。まどかの気遣い全く意味なし! まあね、まだ中二だからね。重ねた両手を頬に添え、トマトをぶつけられながら「普段は普通にしてましょう。あの子に怒られるわよ」と語るほむらさん。この自己陶酔的でありながら白々しくもある態度大好き。

 まどかはアメリカから転校してきたことになっている。ほむらさんはまどかの友人関係をリセットし、改めて自分が囲い込むつもりなのだろう。さすがは悪魔、中々にえぐいことをする。しかしこの様子を見てると、なんだかんだでまどかはクラスに溶け込みそうな気がする一方で、悪魔オーラを漂わすほむらさんは孤立しそうである。
「よーし、じゃあ好きな相手と二人組になれー」
「まどか、あの」
「ごめんね、ほむらちゃん。あたしもうさやかちゃんと」
「いいのよ、あなたが望むならそれでいいの……」
「どうしたー暁美ー。相手いないのかー」
「……」
 ひとりぼっちになっちゃダメだよ、ほむらちゃん。

 円環の理とつながりかけたまどかをハグで引き戻し、かつてまどかから貰ったリボンで「やっぱりあなたのほうが似合うわ」解けた髪を結んであげるほむら。まどかがほむらの髪を三つ編みにしようとして、でもできなかったシーンの裏返しですね。
「この世界は尊いものだと思う? 欲望と秩序ではどっちが大事?」
尊いと思う。好き勝手にルールを破るのってやっぱりよくないよ……」
 ここでも二人はすれ違う。ほむらは欲望に正直になって作り上げたこの世界が尊いのだし、まどかはこの世界が尊いからこそ秩序を守らねばならないと考えている。ちょっと直裁にすぎるカオスとローフルの対立。リボンの返上は決別を意味する。交わした約束は忘れられてしまうのか。

 ラストシーン。真っ二つに割られた半月と切り立った崖。登校シーンと同じ、ほむらとまどかの決別のメタファー。ほむらは一人で踊り、そして崖から身を投げる。それは堕天でもあり、不在のまどかに向かっての跳躍のようでもあり、ただの不注意のようでもあり。落下は美しいものだけれども、しかし世に永遠に落ちる者なし。いずれ悪魔ほむらさんも、ティーカップのように地面に衝突し粉々に割れる時がくるのだろう。その地面がまどかであるのなら、それは本望なのかもしれないが。というところでリボンで封印された窓が示されて映画はおしまい。

総括〜ほむらの宗教へようこそ〜


 TVの最終回で出た「忘れるな、お前らのために魔法少女が戦ってるんだ」みたいなテロップ。あれがどうにも余計に思えてならなかった。嘘くさかった。全体的によい出来だと思うのだけど、あればかりは頂けなかった。というのも、「まどか☆マギカ」はそのような射程の長い話ではなかったと思うからだ。「あなたが彼女を忘れない限り」も何も、まどかは魔法少女だけの神であって、その存在を覚えてるのはほむらただ一人。魔法少女からして、魔法少女以外との繋がりが希薄で、一般人から視線を向けられることがない。一度魔法少女になってしまえば後は戦って死ぬだけで、その後の人生というものは存在しない。そんな物語において「あなた」とはいったい誰なのか。
 おそらくあの物語世界において、孤独な魔法少女が真に救済されることなどないのだ。「みんなのために戦う」という理想など存在しないし、一度武器を手に取った者は、二度と日陰から出ることあたわない。そういうハードボイルドな世界なのだ。それだから、あのテロップや歴史上の著名人をちらりと見せる、ほむらたちの個人的な戦いにあたかも普遍性があるかのように見せかける装いが、どうにも物語にそぐわないように思えてならなかった。
 ところが今回の「叛逆の物語」には、そんな夾雑物は欠片もなかった。ほむらのソウルジェムの内側という舞台設定、まどかへの愛を募らせるあまりにほむらはまどかの敵となるというプロット、これは徹頭徹尾ほむら個人の物語だ。なにしろ、ほむほむのまどかに対する個人的な感情から宇宙の法則まで書き換えられてしまう。昔懐かしい言葉で言えば、純然たるセカイ系。いっそ潔いくらいで、観ているうちにTV版に感じた不満はすっきりと消え去ってしまった。二度目を観たときには、これこそが「まどか☆マギカ」のあるべき姿であるとすら思ったよ。そうだよほむら、おまえはそういう人間だ。
 TV版あるいは映画前二作が全ての魔法少女を救済するために神となったまどかの話であるのに対し、今作は個人的な愛欲のために悪魔となったほむらの話で、これはちょうど対になっていると考えることもできる。しかし、まどかの神性を支えているのは誰かと考えれば、それはもちろんほむらであって、鹿目まどかという円環の理の本来の姿を必死でこの世に留めようとする伝道者ほむほむが、結果としてまどかに敵対する悪魔になるという、なんとも自作自演で個人的な宗教の形が浮かび上がる。まどかのことしか頭にない悪魔ほむらが、神の摂理を飲み込んでいく宇宙規模のローカルな神話。無理に射程を長くするのではなく、世界を縮めてしまうことでないはずの普遍性まで生まれてしまったような気がする。爆縮型宗教とでも言うべきか。

つまりは?


 ごちゃごちゃ書き連ねたけれども、要はセカイ系作品の傑作であるということです。この映画が楽しめるんだから社交スキルの欠落した生産性の低いクズで本当に良かった。本当に。本当に……。あとほむらさんかわいい。それが一番大事。